行雲流水

しのの備忘録。ゲームとか日常とか思うことを徒然と。

「選ぶこと」と「掴むこと」

えー、今日はこのテーマでブログを書かせていただきます。
現代人が90歳で没するとして(僕はもっと早死する気がする)、人生の1/3が終わった今、これまでの人生観のような内容を文字起こししたいと思ったからです。
もうすっかりインターネット老人なのでたまにはこういう記事も書きます。普段はうんこちんちんだのくだらないものばかり考えますが。

初めに僕の言う「選ぶこと」と「掴むこと」の定義について簡単に触れますと、
まず「選ぶこと」は、自分の意志で何かを選択し実行することを指します。
これは進学受験や就職、恋愛が当てはまると思います。
大半の人がぶつかるであろう人生の壁が大体これですね。僕も苦労しました。

次に「掴むこと」とは、置かれた状況下でチャンスを物にすることを意味します。
「選ぶこと」が自ら動くことなのに対し、「掴むこと」はじっと機会を窺い、適切に判断し行動することとも言えます。なんだかハイエナみたい。
こうして取り上げるとやや受け身のニュアンスなのかなと思います。

それで、何故この2つをテーマに選んだのかと言うと、僕は「選ぶこと」に関してはとにかく下手で、「掴むこと」についてのみ長けている人間なんじゃないかと思ったからです。
そう思う理由は2つあります。

1つは、これまで「選ぶ」場面について回避するか尽く失敗してきたからです。
上に挙げた「受験」は高校大学と学内推薦を利用し回避した為、苦労を知りません。通知書の内申点で入試をスルーするか、簡単なテストを受けただけで、所謂センター試験(今は統一テストでしたっけ)を受験せずに来てしまいました。
初めて失敗を知ったのは「就職」でした。
学生の時は教師になりたいという夢があり、大学も教職課程が充実しているところに推薦で進学しました。ところが定着率が厳しいからという理由で入学すぐに夢を捨て、家族に行政職が多いからという理由で公務員を希望するようになりました。こんな後ろ向きな理由では当然相手にされるはずもなく、就職活動は失敗続き…数年のニート期間、民間企業を経て今の仕事に就いたのは大学卒業3年後でした。
今はどうにか人並みの暮らしは出来ていますが、こうして書き出すと「選ぶ」ことについては不得手だったなぁと思わざるを得ません。

2つ目としては「掴む」ことに関して、与えられた場について外すことは殆ど無かったなと思うからです。
今務めている職場は民間企業で働きながら転職した所で、先が決まらなければまたニートに戻る可能性がありました。それにも関わらず転職が決まったのは、当時必死だったのもありますが、人数を採用する官庁が割と限られていたのと、職場環境について知人から聞いていて迷いが無かったからと思います。
また現在お付き合いをしている彼女もお見合いから始まった縁で、付き合って数か月で同棲、今や籍を入れようとしています。自分で選んだ恋路では無く、ただ紹介された異性のことを素敵だね、と思って行動した結果が今になります。こればかりは良縁を紹介してくれた家族と、僕を受け入れてくれた彼女に感謝しなければいけません。ありがとう。

このように「掴める」人と書けば格好つきますが、僕は非常に受け身な人生を歩んだ訳です。もし次も人に生まれ変われたら「選ぶ」人間になりたいなぁ。